当院の歩み・沿革
History大正5年 6月 |
京都大学助教授を辞した副島豫四郎氏が、小倉市宝町にあった外科病院を母体に、 私立小倉記念病院を創立(名称は、大正天皇御大典を記念して名付けられた) 標榜科:内科、小児科、外科、婦人科、耳鼻咽喉科 計5科 |
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大正6年 | 眼科、皮膚泌尿器科、歯科を増設し、標榜科計8科となる |
昭和23年 1月 |
私立小倉記念病院を厚生省へ移譲、 朝日新聞西部厚生文化事業団に経営を委託し、社会保険病院となる 敷地面積 2,937平方メートル、標榜科8科、許可病床数 117床、職員数 100名 |
昭和26年 5月 |
整形外科を増設し、標榜科計9科となる |
昭和37年 2月 |
麻酔科を増設し、標榜科計10科となる |
昭和41年 3月 |
皮膚泌尿器科を皮膚科、泌尿器科に分け、標榜科計11科となる |
昭和41年 5月 |
脳神経外科を増設し、標榜科計12科となる |
昭和44年 10月 |
放射線科を増設し、標榜科計13科となる |
昭和45年 11月 |
新病院を北九州市小倉北区 貴船町1番1号に新築 敷地面積16,538平方メートル、 標榜科13科、許可病床数 550床、 職員数 441名 |
昭和54年 1月 |
循環器科、心臓血管外科を増設し、標榜科計15科となる |
昭和54年 4月 |
心臓血管病センターを新築・開設 標榜科15科、許可病床数 605床 |
昭和57年 9月 |
消化器科、形成外科を増設し、標榜科計17科となる |
昭和58年 1月 |
神経内科を増設し、標榜科計18科となる |
昭和59年 4月 |
心臓血管病センターを増築 標榜科18科、許可病床数 659床、職員数 689名 |
昭和59年 7月 |
本館3階病棟にクリーンルーム設置のため病床数 658床に変更 |
昭和62年 3月 |
健康管理センターを新築・開設 職員数 776名 |
昭和63年 3月 |
外国医師臨床修練指定病院に指定 |
平成8年 2月 |
社会保険小倉記念病院看護婦宿舎新築落成 |
平成8年 4月 |
精神科を増設し、標榜科計19科となる |
平成9年 8月 |
開院50周年記念事業として、職員会館(休憩棟・更衣棟)新築 |
平成11年 5月 |
院外処方せん全面発行開始 |
平成12年 2月 |
血液透析棟を新築 |
平成12年 2月 |
CCU増設(20床) |
平成13年 4月 |
開設者が、朝日新聞西部厚生文化事業団から朝日新聞厚生文化事業団となる |
平成13年 9月 |
財団法人日本医療機能評価機構「一般病院種別 B」の認定を受ける |
平成14年 1月 |
歯科を閉科し、標榜科計18科となる |
平成14年 4月 |
産婦人科を改め婦人科となる |
平成14年 7月 |
HCU新設(13床) |
平成15年 12月 |
本館8階病棟にクリーンルームを13床に設置(計15床) |
平成16年 4月 |
開設者が、朝日新聞厚生文化事業団から財団法人平成紫川会となる |
平成16年 4月 |
呼吸器科・呼吸器外科を増設、小児科を閉科し、標榜科計19科となる |
平成16年 10月 |
臨床研修病院に指定 |
平成17年 4月 |
地域医療支援病院に指定・救急告示病院に指定 |
平成18年 10月 |
財団法人日本医療機能評価機構より区分4として認定(Ver5)を受ける |
平成20年 4月 |
血液内科、腎臓内科、糖尿病内科、血管外科の増設により、標榜科計23科となる |
平成22年 12月 |
北九州市小倉北区浅野に新築移転 |
平成22年 12月 |
乳腺外科、頭頸部外科を増設、循環器科を改め循環器内科、消化器科を改め消化器内科、 呼吸器科を改め呼吸器内科、呼吸器外科を閉科し、標榜科計24科となる |
平成23年 5月 |
糖尿病内科を改め糖尿病・内分泌・代謝内科となる |
平成25年 5月 |
精神科を改め緩和ケア・精神科となる |
平成26年 4月 |
名称を「一般財団法人平成紫川会 小倉記念病院」と変更する |
平成27年 10月 |
神経内科を改め脳神経内科となる |
平成30年 4月 |
一般病床50床、HCU12床を統合し、一般病床60床として運用する(許可病床数656床) |



